永遠に相手に恋してる状態。
そんなことがあったら、まさに夢のようですね。
でも、あらゆることを乗り越えた二人ならあるのかもしれない、とゆうお話。
私達が恋愛をすると、まず相手の良い部分しか見えませんね。
悪い部分があったとしても、あばたもえくぼです。
でも、二人の間に緊張感が解けてきて、お互いに自分のペースをつかんだり余裕ができてくると、嫌な面もチラホラ見えてきます。
恋はチューチュートレインと、ちょっと前に書きましたね?
これまでの恋の経験や親との関係性から培われた考え方や傷が出てくる頃です。
相手を通して過去を見せられていきます。
これを投影と呼びます。
そして更に厄介なのは、ここに無意識の力が働き、例えば常に「私は誰からも愛されない、いつか捨てられてしまう」とゆう傷から生まれた信念があるとしたら、その人はそれが本当にそうなのか試したくなります。
そして、相手はその無意識をキャッチしてその役を引き受けてくれるようになります。
人は無意識に相手の望んでいるものを叶えたいと思うのです。
そうして、今その人が信じていることが本当に正しいことなのかを試そうとする人と、それを叶えようとする人の図式ができ、結局別れることになり、「ほら、やっぱり私は愛されないんだわ」と思うのです。
だから、何度お付き合いしても似たような人を好きになるとか、似たような結果にしかならないとしたら、傷から生まれた信念を見てあげた方がいいですね。
それから、人は関係性の中でバランスを取ろうとします。
どちらかが与えてばかりの人だったり、相手は受け取るだけの役割を演じるようになりますし、
望んでばかりの人だったら、相手はうっとおしく思うようになります。
どちらかが積極的だったら、どちらかは消極的になっていきますし、どちらかが依存が強い人なら、どちらかが自立した人になっていきます。
これが、シーソーのように変わり番こで繰り返されればいいのですが、ときに役割や図式が出来上がってしまうことがあります。
(ミスチルの曲に、恋はシーソーゲームってありましたね)
出来上がってしまった時点で、私達はお互いに愛情を感じなくなっていきます。
でも、その与えてばかりの人や望んでばかりの人、受け取るだけで与えようとはしない人、うっとおしく思う人は、みんな傷を抱えている人達です。
世の中に傷がない人なんていませんね。
みんな傷を抱えていて、お付き合いしたらそこから何かを得られる人に惹かれていくんです。
お互いに傷が出てきて、愛情を感じなくなったとき、今度は二人で乗り越えるか別れるかの選択がでてきますね。
乗り越えるときとゆうのは、相手に影響されて出てきた傷を見ていくときでもあります。
セラピーの本を読んで実践したり、実際にセラピーやカウンセリングに行ったりですね。
友達に相談して、「え〜そんな奴やめちゃいなよ〜」なんてことになるかもしれません^_^;
どうしてこんなに苦しいんだろう?とか、どうしてこんなに不安なんだろう?怒りがわいてくるんだろう?とか。
色々ありますね。
過去に遡れば、今のその感情を抱えてしまう原因になった出来事があって、まずはそういった自分がいることを認めてあげるのが最初ですね。
傷ついてる自分がいることを認めてあげてください。
それができるようになったら、今度は相手にその傷ついてる自分を差し出してみるのです。
「実はね、私にはこんなことがあってね…」と、差し出してみるのです。
もちろん、差し出せる相手かどうかも見てください。
二人で乗り越えていくには、相手にも受け入れてもらうとゆう経験が必要になります。
自分と相手に受け入れてもらうことによって、その傷は安全なんだと認識していきます。
それを、相手にもやってもらうんです。
男性は弱さや傷を差し出すなんてあまりないかもしれませんが、話し合ううちに出てくるかもしれませんね。
ポロっと出てきたら、ありがとうと受け取ってください。
苦しかったね、悲しかったねとゆう気持ちで受け止めてあげてください。
それが二人の間で行われるようになると、私達はまたロマンスを感じるようになるのです。
いたわり合うとゆう関係ができてきます。
これがパートナーシップの基本で、相互依存と呼ばれるものです。
依存(傷)って、いっけんネガティブに聞こえますが、依存してない人なんてこの世に一人もいません。
この世は依存で成り立っているんです。
もし、自分は完全に自立できていると思う人がいるとしたら、おそらく依存をよくないものとして抑圧しているか、弱さを認めたくないと思っている人かもしれませんね。
依存は健全に出すものです。
自分と相手に受け入れられて、はじめて依存はポジティブなものに変わっていきます。
依存があるからコミュケーションが生まれ、愛が生まれ、互いに高め合ったり、絆を深めていくことができるのです。
大切なのは、この人と色んなことを乗り越えて行きたいと、思えるかどうかなんですね。