エディプス(エジプトの言語で腫れたかかとだったかな?)とゆうのは神話がもとになっているようですが、すべての人の人間関係のベースになっている、両親との間に生まれる初めての三角関係(ストレートに言ってしまうと不倫関係、相手のいる人を好きになること、独り占めしたい気持ちなど)複雑な繋がり、心境。
そして、性にまつわる感覚です。
私たちの本当の初恋は、実は異性の親だったのですね。
性に関していうと、男性は「僕にだけついててごめん」とゆう罪悪感、女性は「私にはついてない、なんで!」とゆう悲しみや怒り。
それはきっと、私たちの集合無意識のなかにもあるのかもしれません。
昔、心理学者のフロイトがこのエジプトの神話を劇場で披露したときに、拍手喝采で多くの人の心に響き受け入れられたのを知り、もしかしたらこの物語はすべての人の中に存在するものなのではないか?と、研究したのが始まりだとされているようです。
先日、勉強会に参加してきました。
私はこの言葉をはじめて聞いたので、とても興味深々で行ってきたんです。
そしたら、すごい収穫がありました。
私は、このコンプレックスがすごく根深いんだなぁと思いました。
親への気遣いと、葛藤と、欠如感。
私は、実は夫と息子がとても仲が良いことに嫉妬していたんです。
私には入り込めないって、いつも寂しい気持ちでした。
けれど、夫を息子から奪うこともできない。
奪ったらきっと息子が悲しむに決まってるし、だったら私は我慢をしようと、いつも思っていたんです。
けれど、我慢はいつか爆発しますね。
怒りのときもありますし、怒りを通り越して悲しみや根拠のない寂しさが付きまといます。
講習会で先生に質問すると、「それは性器に関すること」とすぐに答えていただきました。
私は、その話を聞いたときに、はっ!としました。
実は、ずーっと浮かんでくるビジョンがあったんです。
ビジョンは感情も伴って浮かんでくるんです。
私は、小さな頃、父が庭で用をたしているところを見てしまったことがありました。
本当に興味本意で父の部分を覗き込んだんです。
そのときに、とてつもない衝撃を受けました。
すごいものが付いてる!って。
こんなもの、私にはない!って。
そのとき、はじめて父を異性として認識したのだと思います。
そのときの衝撃がずっと心に残っていて、父に異性として恋するような気持ちと、私にはない、私は父とは違う、とうてい手が届かない憧れのような異性とゆう感覚、欠如感が残ってしまって、男性である夫と息子が仲良くしているのを見ては、なんとも言えない気持ちになっていたのです。
私には決して理解ができない世界なのだ、そこには所属できないのだと、無意識に感じていたのだと思いました。
そして、私はこれまでの恋愛のなかで、とうてい手が届かない憧れのような異性になんとも言えない切なさを感じ、執着するような気持ちでいたのです。
その感覚は辛いのにも関わらず、どこか懐かしく安心でした。
それは、父に対する気持ちを何度も味わっていたのだと思います。
よく出てくるビジョンは、私にいつも必要なことを教えてくれます。
何かに気づいてと言ってくるようです。
毎回、心理学や無意識の世界ってすごい!と思います。
こんな風にいっこいっこ、扉が開いていきます。
単純なイメージ療法でも、とても解放されることがあって、私は心から心理学って楽しいと思うのです。
何があってこのような気持ちになるのか、こんな感情になるのかと、一つ一つの理解が私には必要なんだなと思っています。
納得することで、私は手放していくことができます。
すべての人に、心理学や論理的な説明が必要ではありません。
でも、セラピストやカウンセラーとしてそのような背景を知っていることは、お話を聞きワークする上で役立つのではないかと感じています。
プリエール 桜岡智子ハロウィンですね。
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今日もより良い一日でありますように。